設立経緯
2004年9月に内閣府よりNPO認証されるまでとその後のトピックを記します。
1993年 ― 韓国・ソウル / 一人の中高校日本人国語教師と一人の高校韓国人日本語教師の出会いと共感 /
        それがすべての始まり / 誰も予測しなかった現在
1994年 ― 日韓教育国際会議へ / 少年時代太平洋戦争下の広島で過ごし、韓国人少年との出会いと別れを
      持つ仏教者であり教育者の支援 / 日韓での共感者の輪へ
1998年 ― 中国・台湾の日本語教師との出会い / 日韓・アジア教育国際会議へ / 日韓中台関係者間の共生感
      の芽生え / 続けることでの力の蓄積 / と同時に顕在化する指向の違い / 海を隔てた意思疎通の
      難しさ / 葛藤 / 不安 / 異文化理解の実感 / 関係者の身辺変動 / 再生再構築への決意
2006年 ― 海外異文化体験者の日本人青年達との出会い 
2008年今 ― 新たな出発と共有を期しホームページ《社会発信》改訂へ
       主事務所を栃木県(那須塩原)に / 副事務所を兵庫県(西宮)に / 映像制作事務所を東京都
      (渋谷)に / 変更変革準備に入る
 
理念
 経験知としての言葉に生の力を直覚する私たちが、経験と研鑽から紡ぎ出しつつある理念を記します。
想像力への誘発剤となり、協働による確かな理念となることを願い。
今生きてある自身《脚下照顧》からの共生へ、次代へ。共有する場は東アジア。
東アジアの背景にあるアジア。アジア的東アジア的感性の世界共生への示唆。
政治も経済も生活も・・その深層にあるはずの文化。その文化の混乱、不安。性急な自己主張、独善ではない、
多文化共生と自文化についての謙虚な検証の必要。合理[理性]と非合理[感性]の間で行きつ戻りつしながら。詩の世界と散文の世界の統合。
先人に学び、思考し、試行へ。試行錯誤の実践。各々の直覚を信じて。自然体の知。
アジア的自由・自尊・自律と世界。アジア的自然と人と世界。その今日的意義とは?
私たちの共通語が日本語であることの日本人に求められる自省、自己点検、発信。
日本的なこと・ものとは?そのアジア性とは?そして次代世界への貢献力は?
 
賛同協賛後援団体機関・個人
 私たちのこれまでの活動〔具体的内容は、各事業活動部門を参照ください〕に対して、
賛同、協賛くださっている、また国際会議後援助成をくださった機関団体名を順不同で記します。
尚、個人の方々については今後順次紹介したく考えています。
●帰国子女教育を考える会(関西圏)
●グローバル化社会の教育研究会(首都圏)
●WAA[We are Asians]の会(首都圏と関西圏)
●大阪YMCA国際専門学校
●三菱銀行国際財団[1998年以降、6回国際会議後援助成]
●国際交流基金[2007年国際会議後援助成]
●学校法人八洲学園高等学校(通信制・単位制高等学校)
●ソウル日本語教育研究会
●香港日本語教育研究会
●上海市甘泉外国語中学高等学校
 
運営委員
《日本》
 井嶋 悠(元中高校教員)  森本幸一(小学校教員)  
   中村亮介(中高校教員)  シャミ・ダッタ(中高校教員)  
   野島大輔(中高校教員)  小路清一(高校教員)  
   高寺厚美(小学校教員)  逢坂芳郎(映像作家)  
   山田健三(デザイナー)   里 才門(映像作家)  
   粟田経弘(写真家)  村上 涼(映像作家)  
   坪山由美子(日本語教員)    
《韓国》
 呂 善九(高校日本語教員)  朴 且煥(高校日本語教員)  
   権 俊(高校日本語教員)    
《中国》
 マギー梁 安玉(大学日本語教員)    
《台湾》
 工藤節子(大学日本語教員)   (順不同)